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東京カウンセリング|軌道修正...Episode:カウンセラー通信

2021/08/30

東京カウンセリング|軌道修正...Episode:カウンセラー通信

 

 

パパ、ママ、今では多く子供達が親をそう呼ぶが、

今から50年以上前は、両親を、パパ、ママと呼んでいた家庭は私の周りにはいなかった。

そんな中、父の方針で私達は生まれた時から「パパ」「ママ」と呼んでいた。

その名は両親のあだ名になって、現在でも、その界隈では「ママちゃん」と言えば母の事である。


昔、Kちゃんて言うおばさんが時々風呂敷包みを肩からさげ家にやってきた。

今で言うホームレス、その頃は「こ**」と言われていたように思う。

坊主頭で、家の縁側に座って、母としばしお茶のみながら、帰りには少しばかりのお金を母が渡していたように思う。

帰った後母が、「金ちゃんはね、結構お金持ちらしいよ。あうやって、いろんな家回って、家建てちゃったって話も聞くの」

「じゃ、うちの方が貧乏じゃない!」と私 

「良いの良いの」と母は言った。



小学生の頃、鏡開き(正月のお供えが丁度かびたところで餅を叩いて割りお汁粉を作った)で、母が作るお汁粉を家族皆で食べるのが楽しみだった。

次の日、姉と二人お汁粉のなべを覗くと、まだ残っていた。

二人共食べたくて、ちょっと味見してみようって始まったが、その内止まらず鍋の底が見えてきた。

絶対怒られると思った私達は、きっと分からないよと言って水を大分たした。

仕事から帰って来た母が「お汁粉食べたの?」と「ちょっと味見しただけ」と私達はとぼけた。

母はそれ以上何も言わなかった。



だいぶおおきくなるまで、家のトイレは汲み取り式で、定期的に汲み取りのトラックが家に来ていた。

母は、仕事を終えた係りの人達にお茶を出していた。

私は、その人たちの使った湯のみがどうしても嫌だった。



小学校2年の時、4才下の弟が破傷風になり入院した。

私は教室で弟が入院した事を先生に話しながら泣いてしまった。

先生は、「時間が有る時にお母さんに来て頂いて」と言われたので母に話すと

「何かしらねえ~、何かご迷惑おかけしたの?」と不思議がりながら学校へ行った母だったが、

「先生が生活が大変でしょうから、生活保護を受けるように勧めて下さったのよ。でもね、ママ、断ったのよ。もっと、大変な人がいるでしょうから、私達は食べていかれますってね。」

って微笑みながら言った。

 

 

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セラピスト紹介 【MAYUMI】

 

1985年~1992年 ニューヨーク駐在の主人と共に米国滞在を経験。
現地では、小学生と中学生の息子の教育の為、アメリカンスクール、
週末には、日本の補修授業校へ子供達を通わせると共に、
本人も大学へ通い、日本とアメリカとの教育の違いに触れた。
特に、子供一人一人の個性を大切にするアメリカの教育に共感し、
帰国後は、留学を通じて不登校の子供達の自立へと導く仕事につき、
子供達の才能を確立することに従事した。

その後、2006年より再度駐在となった主人と共にロサンゼルスでの生活を経験する中、
ロスにてカラーセラピスト、アロマテラピストの資格を取得する。
2013年秋帰国。

現在では、セラピストとして活動している。
例えば、子供の能力を見つける魔法の言葉をお母さんたちに伝えたり、
共働き夫婦の上手な付き合い方やストレスを貯めない心作りを提唱している。

ブリティッシュカウンシル留学カウンセラー
カラーセラピスト
アロマテラピスト